余部鉄橋は、近く付け替えになり、鉄橋の今の姿は見納めになります。
青春18きっぷの季節到来を機に、鉄橋を近くに眺め、海の幸とアルコールで語り合う楽しい一日を過ごしたいと思います。
記
1.開催日 平成18年7月31日(月)
2.行き先 余部鉄橋と旬の宿「尾崎屋」
3.行 程 (往路)三宮 加古川 姫路 寺前 和田山 城崎 余部
7:40 8:10 8:21 8:44 9:27 9:29 10:14 10:41 11:28 11:58 12:48
(復路) 余部 豊岡 和田山 寺前 姫路 加古川 三宮
15:28 16:29 17:34 18:08 18:27 19:20 19:26 20:12 20:27 20:37 21:07
4.昼食と入浴 旬の宿「尾崎屋」食事の内容「炭火焼会席」
兵庫県美方郡加美町香住区余部1809−01
TEL(0796)34−0064
5.予 算 約 10,000円(青春切符 2,300 会席 5,000 飲み物代 2,000)
6.その他 1)青春切符の利用グループは、従来の実績に基づき編成する。
2)往路の新快速には、後ろから2両目に乗車する。
3)食事は予約制です。
4)7月10日までに参加・不参加をお知らせ下さい。
山陰本線鎧駅〜餘部駅の間にある餘部鉄橋が、近く付け替えになり、今ある鉄橋が見納めになると云う、それで、今回の青春きっぷ旅行は鉄橋を眺め新鮮な海の幸を食べる旅行を計画した。
:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
橋脚の概要
1909年(明治42年)12月に着工、1912年(明治45年)3月1日に開通した。長さ310.59m、高さ41.45m、総工費331,535円。11基の橋脚、23連の鉄桁を持つトレッスル橋である。なお、国道178号線がこの鉄橋の下を走っている。
その独特な構造と鮮やかな朱色、また付近の情景とも相まって、鉄道ファンのみならず、山陰地方を訪れる観光客にも人気がある。最寄り駅である餘部駅には、その裏山に展望台が設けられており、絶好の撮影ポイントとなっている。
朝・昼・夕と光の具合でその姿を変えるほか、天候や四季(特に雪)によっても大きく変貌する。夜、列車が通過する様子は、さながら銀河鉄道であり、轟々と響き渡る通過音には趣さえ感じる。鉄道に関する観光地としては、屈指のものといって差し支えないだろう。
(注意:一般的に「餘部」と「余部」が併用されているが、当項目の正式名称は「餘部橋梁」である。)
建設の経緯と経過
兵庫県香住町(現、香美町)から兵庫県浜坂町(現、新温泉町)付近の日本海沿いは厳しい山岳地形であり、当初より線路の敷設については必然的に山間部を通す必要があった。
しかし、餘部集落付近については、特に地形の特殊性から、集落を見下ろす形で京都方面、鳥取方面より伸びてきた線路を、集落を跨ぐ形で繋がねばならず、当時の鉄道院技師、古川晴一により、アメリカ人技師の意見を取り入れてトレッスル橋と呼ばれる方式にて建設が始まった。橋脚の鋼材は、アメリカンブリッジ社のペンコイド工場より九州の門司港経由にて餘部沖に運ばれ、1910年(明治43年)8月に陸揚げされた。完成までには33万円を超える巨額と、延べ25万人を超える人員を投入し、また大変危険な工事であったため、作業員には2万円もの保険が掛けられていた。
この橋の建設は山陰本線建設において西隣の桃観トンネル(桃観峠大隧道)に次ぐ難工事であり、この橋と桃観トンネルの完成により京都駅から出雲今市駅(現・出雲市駅)までが全通となった。完成より90年を超えた現在でも、トレッスル橋としては国内最大であり、初期の鉄道建築としても、高い存在意義を有している。
山陰線余部鉄橋列車転落事故
1986年(昭和61年)12月28日午後1時25分頃、香住駅より浜坂駅へ回送中のお座敷列車「みやび」が日本海からの突風にあおられて鉄橋中央部付近より機関車と客車の台車の一部を残して7両が転落した。転落した客車は橋の真下にあった水産加工工場を直撃し、従業員であった主婦5名と乗務中の車掌1名の計6名が死亡、客車内にいた日本食堂の従業員1名と加工場の従業員5名の計6名が重傷を負った。
この鉄橋からの列車の転落は橋の完成以来初めての惨事であり、原因としては風速25m以上を示す警報装置が作動していたにもかかわらず列車を停止させなかった人為的ミスと見られている。
この事故後、当時の国鉄は運行基準を見直し、風速20m以上で香住駅〜浜坂駅間の列車運行を停止し、バス代行(全但バスが担当)とするよう規制を強化することとなった。また、1988年(昭和63年)10月23日、事故現場に慰霊碑が建立され、毎年12月28日には法要が営まれている。
橋脚塗り替え工事
潮風が吹きつける橋脚には防錆処理をするため、数年おきに橋脚部にネットを張り塗り替えが行われる。鉄橋架け替えが行われるため、2005年7月に行われた塗り替え工事が最後の塗り替え工事となった。
今年の梅雨明けは遅く、ぐずついた日が続き、7月31日の旅行の日が近づくにつれ、早く梅雨が明けないか願ったものである。土用の明けとほぼ同時期に梅雨も明け、真夏を思わす天候に、遅ればせながら夏本番の旅行となった。
早朝の新快速は通勤客で満員状態、三宮駅、神戸駅、加古川駅、それぞれ乗り合わせ、高架工事中で混雑する姫路駅で播但線に乗り換え、電化区間の終点、寺前駅に、2分の効率よい乗り継ぎ、生野峠を越え和田山駅に、約20分の待ち時間に、駅の改札を出、各自トイレに行き構内の売店を見ていると発車時刻も迫り、和田山駅から山陰本線を北上、城崎温泉駅に到着。真冬の城崎はよく来たものだが、真夏の城崎は珍しい思いで駅前の様子を見た。待ち時間30分を利用し駅前の横に城崎温泉のお湯を引いて作った足湯の出来る温泉場で、足を温めしばし旅の疲れを癒した。
冬場に来ると此処は超満員でごった返しているが、さすが夏場か、数える程の子供連れの人で空いていた。
城崎温泉駅から50分、ようやく餘部鉄橋を渡り切った処に、山にへばり付くように細長い片側一面のプラットホ−ムのある餘部駅に到着。お昼も遅くなったので、鉄橋の景観を十分に見る間もなく、鉄橋のすぐ側にある曲がりくねった人一人通れそうな坂道を下り、降りて来た鉄橋を見上げるとさすがに40メ−トルの高さを実感するに値した。
橋のふもとの小道を進むと、今日行く「尾崎屋」の看板が見え、冷房の効く座敷に通された。昼食は新鮮な魚貝類の炭火焼とあって食卓の上には、真っ赤な炭の入ったコンロが置いてあった。冷房はしていたが炭火を見るとやはり暑く感じたが、1時にもなり空腹であったので、まずは既に用意されていた食前酒で乾杯。続いて運ばれた生ビ−ルで再度乾杯。帆立貝、サザエ、えび、いか、それに野菜等を網にのせ、昼食の宴会が始まった。
車中は冷房がよく効いて暑さを感じなかったが、炭火を前に汗を拭きなが
ら魚貝類を網にのせ焼きたてを食べつつ、、酒量も上がり皆さんの話も弾みがつき、つい暑さも忘れ、久しぶりのゆっくりした昼食を堪能した。
そこそこ昼食も終わった処で、越生さんが行った北欧旅行の写真を室内にあるテレビに写真機から繋ぎ珍しい写真を見せて貰った。
予定の時間も迫ってきたが、話も尽きず予定より40分後の次の列車に乗る事にし、ベランダから見える鉄橋を見、「尾崎屋」を後にした。
高く聳える鉄橋を見上げながら根元の基盤部分を通り、急な坂道を登り餘部駅に到着、丁度の上りの特急列車が通過する処で、絶好のカメラチャンスに遭遇した。
真夏の太陽と坂道を登り、汗だくになったが、冷房の効いた普通列車に乗り込み一息付いた。豊岡駅、和田山駅、と乗り換え竹田駅辺りから想像も付かないような雨足になり山間部の天気の不安定さを見せ付けられた。寺前駅、姫路駅に、ここで新快速と普通車に分かれ解散した。
今回の青春きっぷ旅行は、道中が少し長く、特に復路の時間が長く感じられ酔いもあってか少し参った感じであったが、見納めになるであろう餘部鉄橋を見、新鮮な魚介類を堪能した有意義な青春きっぷの旅行であった。